one room

忘れたくないことと、忘れてしまったことについて

1時間半

お兄さんは、コンビニやスーパーへ寄ると、

「なんでも好きなの持っておいで」って言う。

だから私は帰りの車の中で、

ほうじ茶チョコと、抹茶のポッキー、代わる代わる食べていた。

帰るまで1時間半くらいかかるし、そのお供にと、お菓子が二つ。


何となく、Paul Smithのセットアップの話を思い出しながら家へ戻る。

四月には出番が来るらしい。


ちょうど県の境目に着いた頃、

降っていた雪の勢いが増してきた。

人からものを借りるのがとても苦手で、

お兄さんが上着貸すと言ってくださったのに、断ってしまったのを後悔した。

優しさすらうまく受け取れないのか、私は。


家に着く頃には、すっかり真っ白になっていて、私は車から下りると、

小さな雪だるまを作った。

朝一番に溶けるように、日の当たる場所に置いた。

花束を贈る人は、それを贈られた人が、どんな気持ちで花々を看取るのか知らない。

それに似た感じで、溶けかけの雪だるまが苦手だ。

私が目覚めるより先に、水になって、乾いて、空気中に浮かんでいてほしい。



朝の光と

ランディー・ローズが、お兄さんのiPadから流れていた。

テーブルの上に並ぶ空の缶ビールは何本になっただろう。

カーテンの隙間から仄かに薄くなるブルーが覗いた。

ギターケースの上で、小さな紙の切れ端に、注意点が書き込まれていく。

和紙のような質感。

お兄さんの持つペンからインクが染み込む。


私はポッキーを食べ、お酒を飲んでを繰り返していた。

とても眠たくて、

それでも、まだ寝ずにいたいという子供のような意地だけで起きていた。

私もお兄さんもまぶたが重たい。

それでも、ふらりと立ち上がると、

お兄さんの手には、また、缶ビールがあった。

グラスに半分ずつ注いで、飲む。

眠たいのか、酔っているのか、

世界はとても朦朧としていて、少しだけ死んでいるみたいに穏やかだった。



幸福論

夕日が刺す部屋で、
私は君を待っていて。
少しだけ暑くて、窓を開けてみる。
風が吹いて、しばらくすると、
日が落ち込んでいくので寒くなる。
そのまま肌寒いような空気に微睡む。
水滴沢山つけたペットボトルからお茶を飲んで、それからパタリと倒れて眠る。
起きたら君が帰ってきていて、
夕飯作り忘れたことを謝りながら、
二人で川辺の道をコンビニまで散歩する。
りりりとか、ちちちち、みたいな虫の鳴き声すら聞こえないくらい笑いながら。
コンビニに入ってアイスとかお菓子とか、
ご飯にならないようなものと、お酒ばかり買って、ああ、大人になれないねって言う。
馬鹿みたいな金額の会計を済ませて外に出て、タバコを買い忘れたと慌てて戻る君を、
携帯いじりながら待っている。
部屋に戻って適当に買ってきたものを食べながら、
何となく乾杯してお酒を飲んだり、ギターを弾いたりする。
きっと眠るのは太陽が登った頃になる。

東京

「東京に行こう」と、友人は言った。


それが、観光としてなのか、上京するということなのか、それらは、彼女から発されるまでの間に綺麗さっぱりと省略されていた。


コンビニの窓の向こうには、

仰々しいほどに空が赤く焼けてる。


「向こうでバイトして暮らそう。貯金はできないかもしれないけれど、毎日暮らすことくらいならできるさ」


私はしばらく、

限りなく質素で、お気楽で、贅沢の限りを尽くした生活を思い浮かべた。


「荷物はギターだけでいいかな」と返すと、

「私は煙草だけでいいかな」と彼女は笑った。


空の上の人

死んでしまった人が、生きていた頃、

最後に作った曲を聴いた。


私はその人のこと、何も知らないけれど、

曲を聞いている。


本当の終わりは死ぬことじゃないと知っているけれど、

出来れば死なない方がいいことも、

同じように知っている。


電気ストーブの前で、低温やけど寸前まで温まっている。

明日には火葬されているかも知れない私たちは。


真冬なのに、

キャミソールだけで外に出る。

長距離走れなくなった私の車まで、

シールドを取りに。

体力がないのは持ち主と同じだなぁと笑ったって、

車検とか、そういう社会の仕組みは許してくれない。

私が会社で働けないのも同じこと。

許してもらえないし、許してくれないこと、私も許さないから。


お兄さんのバンドのドラムの人と、

今日は寒いねー!って会話をした。

今日は寒い、明日もきっと。

そのくらいの予想ができる範囲の日常で。

それくらいの優しさが残る毎日で。


缶コーヒーの暖かさも冷めていく。

ずっと、なんて言葉は、期間や期限の話じゃなくて、どのくらい、という程度を表してるんだと知っていく。

ずっと、そう言いたいくらい、それを信じてほしいくらい、好きだとか。


黄色の街

朝日が登る前の薄明かりの中、

長い長い廃墟の階段を上がった。

所々錆びている手すりが手ひらに小さな傷をつけていく。

携帯がなっていた。

この世の終わりみたいなけたたましい音量で鳴らす、ニルヴァーナの着信音。

私はそれを無視して、

ひたすらに階段を登った。

登りきった頃、朝日が街を照らしていた。

多分全てが終わっていた。

私は何だか凄く穏やかな気持ちで眼下に広がる景色を見た。

朝焼けが強くて、全てがほのかな黄色に染まっていた。

風がちょうど良い温度で私を包み。

全てを諦めきった私は、

そこからふわりと足を滑らせる。


空白に見つめられた

生後三ヶ月から幼稚園くらいまでを過ごしていた街。

私は、茫漠とした幼少期という表現が好きだ。

優しい灰色の靄に包まれて、

ゆっくり明けていく空を眺めているような、

もしくは、卵色のタオルケットに包まって、

夕方の西陽に照らされているな、

そんな写真1枚切り取ったような言葉が。


私にはその、茫漠としている時期がほとんど無い。

三歳の後半辺りから、割と記憶があるのだ。

それ故に、この街のあちこちの事をよく覚えている。

木造の小さな橋も、

歩きにくい砂利道の河川敷も、

蜂の巣が釣り下がっている友だちの家も、

その庭の庭園じみた広さも、

美味しいお団子屋さんも、

住んでいたアパートの後ろにあった、

とても古い洗濯機も。


私は、そられ全てが見渡せる、

お団子屋さんの道向かいにある、

テナント募集中の張り紙が並ぶ建物の屋上へ登った。

地上4階。

学校の校舎より少し高いくらいの場所でも、

見晴らしはとても良かった。


私はそこから、少しの金平糖と、

貯めていた睡眠薬や安定剤をばらまいた。

白や、青色のそれらが、

キラキラと光る桃や黄や橙の砂糖たちと舞う。

冷たい風は雪を連れていて、

ふわふわと白いものも混ざる。

それぞれが、それぞれの落下速度で落ちてゆく。

夜になりつつある景色に、

溶けて消えていくようだった。


私はしばらくしてから、

階段を使って降りた。

来た時と同じように。


私の住んでいたアパートに寄ってみると、

未だにあの洗濯機は裏に置いてあって、

その中をのぞきこんでみると、

とても狭い空白があった。

ああ、私はこんなところに収まるほどに小さかったのだなと、少しだけ感心してしまった。