one room

忘れたくないことと、忘れてしまったことについて

裸足の記憶

素足で歩く、夜道のコンクリートの上。

 

子どものころなら、誰しも靴を履かずに外を走り回ったりしたかもしれない。

でも、十代後半から、そんなことをした人は、少ないような気がする。

どうなんだろう。

子どものころ素足で走った場所は、

公園の芝生の上だったり、砂場の砂の上だった気がする。

 

私は最近、夜中のコンクリートの上を歩いている。

夢遊病とか、そういうのじゃなくて、記憶もちゃんとある。

裸足になっている理由は、だいたい家を抜け出してきたとか、

家から追い出されちゃったとか、そんな感じなのだけれど。

そんな私を見て、

「どうしたの」は、散歩中の知らない人。

「元気だねえー」は、好きな人。

「寒くないの?」は、ギターのお兄さん。

みんないろんなこと言う。

 

好きで裸足なわけじゃないんだけれど、

結果、少し楽しかったりする。

今、自分が歩いている道とか、

立ってる場所とかの感触まで覚えていられること。

あの日は砂利の上に立っていて、痛かったとか。

コンクリートが案外冷たくて、風邪ひきそうになったとか。

駐車場の白い線の上は、割れたガラスが落ちてたとか。

 

靴がない日の記憶は、少しだけ、現実味がなくなったみたいだ。

洗濯したけど取れなかったパジャマの裾の黒色が、

あの日の記憶とか、つなぎとめているみたい、

お気に入りが汚れたのに、あんまり悲しくなかった。

 

あやふやに幸せな時間、足元の防御力はゼロで。

夏の間は、ほのかに温かくて、今はしんしんと冷たい。

全部感じ取って、無意味に飛び跳ねて、

痛いことすら、怪我すらを、欲してみた。

その間だけ、レキソタンなくても本音で話せて、

デパスがなくったて、安心していられて、

ロヒプノールなくっても、楽さを感じていられる。

私は私のまま、すべてのものと接することができる。

 

でも、朝焼けが紺色の空を濁して、

道にスーツや制服の人たちがあふれ出したなら、

楽しくて幸せな記憶だお土産に、帰らなきゃいけないから。

時間制限付き。

でも、そんな日は、みんな、

「またね」って言ってくれるから。

「さよなら」や「じゃあね」じゃないから。

またねのいつかを楽しみにしながら、

十七時間くらい、まるで死んだように寝るのです。