隙間にあるもの
寂しさの隙間を、ありありと突きつけられることがある。
夏休みの夕暮れに、電気をつけ忘れて本を読みふけっていたあの時。
辺りの暗さに気づいて、ふと外に目をやる。
そして、次の瞬間、本に目を戻した時、読めていたはずの文字は、すっかり闇に紛れてしまい、見えなくなっているのだ。
手元にある物語から強制的に引き離されてしまい、それでいて、我に返るには、頭が上手く動いていない感覚。
蝉の声もなりやんでいて、隣の家から聞こえる、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
すぐ側の机に手を伸ばし、水滴で濡れたコップを持ち上げると、カラリと氷が鳴った。
私はあの時ほど、寂しさの隙間に嵌って動けなくなるような経験はないと思っている。
今の私の日常は、音に溢れている。
隣の家の笑い声を気にせずとも、スタジオに行けば、たくさんの人と笑い合って話が出来る。
友だちと喫茶店に行って、メロンクリームソーダを飲めば、暑さも嫌いではなくなるような気がする。
それでも、あの瞬間が、時々帰ってくる。
そして、その時私は、ある種の懐かしさを感じてしまう。
毎日悲しいし切ないのだけれど、夏は、よりいっそうだ。
死が一番近い季節。
夏休み、最後の日に死んでしまう人たちは、
8月32日へ向かっているのだろうか。