one room

忘れたくないことと、忘れてしまったことについて

空白に見つめられた

生後三ヶ月から幼稚園くらいまでを過ごしていた街。

私は、茫漠とした幼少期という表現が好きだ。

優しい灰色の靄に包まれて、

ゆっくり明けていく空を眺めているような、

もしくは、卵色のタオルケットに包まって、

夕方の西陽に照らされているな、

そんな写真1枚切り取ったような言葉が。


私にはその、茫漠としている時期がほとんど無い。

三歳の後半辺りから、割と記憶があるのだ。

それ故に、この街のあちこちの事をよく覚えている。

木造の小さな橋も、

歩きにくい砂利道の河川敷も、

蜂の巣が釣り下がっている友だちの家も、

その庭の庭園じみた広さも、

美味しいお団子屋さんも、

住んでいたアパートの後ろにあった、

とても古い洗濯機も。


私は、そられ全てが見渡せる、

お団子屋さんの道向かいにある、

テナント募集中の張り紙が並ぶ建物の屋上へ登った。

地上4階。

学校の校舎より少し高いくらいの場所でも、

見晴らしはとても良かった。


私はそこから、少しの金平糖と、

貯めていた睡眠薬や安定剤をばらまいた。

白や、青色のそれらが、

キラキラと光る桃や黄や橙の砂糖たちと舞う。

冷たい風は雪を連れていて、

ふわふわと白いものも混ざる。

それぞれが、それぞれの落下速度で落ちてゆく。

夜になりつつある景色に、

溶けて消えていくようだった。


私はしばらくしてから、

階段を使って降りた。

来た時と同じように。


私の住んでいたアパートに寄ってみると、

未だにあの洗濯機は裏に置いてあって、

その中をのぞきこんでみると、

とても狭い空白があった。

ああ、私はこんなところに収まるほどに小さかったのだなと、少しだけ感心してしまった。