one room

忘れたくないことと、忘れてしまったことについて

雨とアメスピが二本

雨の手前、立ちすくむあなたを見ました。

ため息をひとつ。

リハーサルは四バンド目に差し掛かっていて、

扉のむこうから、音が漏れてきていました。

近くにいた金髪のドラムのお兄さんは、

腕立て伏せをしながら言います。

「〇〇さんがいるのに、雨なんて珍しいですね」

好きな人は、ため息をつきながら、

「雨が降っている日でも、動き出せば止むのになぁ」と言いました。

そして、灰皿の前のステッカーだらけのベンチに座る私の方へ歩いてくると、

「煙草を頂戴」と言います。

私は、「アメスピあるけれど、今日メンソールしかないです」と答えました。

それでもいいというので、ライター入りの箱ごと渡しました。

少し目を細めてタバコに火をつけるところを、

なんとなく眺めます。

確かに雨の日、この人を見るのは初めてのような気がしました。

金髪のお兄さんは、メンバーに呼ばれ、ぴょんぴょん飛びながら、どこかへ向かいました。

好きな人は、私と向かい合わせのベンチに座りました。

雨と、好きな人と私だけ。

雨音が強くなり、リハーサルの音も、微かになっていきました。

少しずつ、現実感が薄れていきます。

好きな人の顔は、もう、仕事中のそれではなくなっています。

二本分のタバコの煙が、

空気の中で溶け合って消えていきます。

ゲストのバンドさんが到着されるまで、

私たちはなぜかずっとそうしていました。


ライブが始まります。

ギターのお兄さんの到着をずっと気にしていたら、

ステージの袖から、好きな人が現れて、

「さっき、入ってきてるのを見たよ」と教えてくれました。

「ありがとうございます」とお礼を言って、

私は、上がる直前の幕を見ました。


ライブが終わり、好きな人が笑顔で「お疲れ様」と出迎えてくれました。

私は、ギターをケースにしまうと、ギターのお兄さんのところへ走りました。

階段を駆け下りて来た私を見ると、お兄さんは少し驚いたような顔をしながら、「お疲れ様」と言ってくれました。

金髪のベースのお兄さんもいて、少し話をしました。


それからは、対バンの方たちを見たり、

久しぶりに再開した同級生と話したりしました。


なんとなく、三階のスタジオに上がりました。

友だちが、悲しいことを言うので、その場にいずらかったのです。

すると、スタジオの入口前で、金髪のベースのお兄さんが、

ボードの淵をマッキーで黒く塗っているところでした。

少しだけアルコールの匂いがしましたが、

風が吹く度に薄まるので、そんなに気になりませんでした。


しばらく二人で話しました。

お兄さんは優しいので、私が痩せたことに気づいて、体調を気遣ったり、

今日のライブを褒めてくれたり、

友だちとのこと、励ましてくれたりしました。

私はなんだか救われた気がして、

お兄さんが作っているボードを眺めていました。


最後に、好きな人と、ライブハウスのPAさんにお礼を言いに行きました。


そういえば、降っていた雨は、

結局、ライブのオープン時間前に、止んでいました。