one room

忘れたくないことと、忘れてしまったことについて

思い出せない数字

「久しぶり!」
声をかけられた時、
私は丁度今日のアイスを決めたところで、
スーパーカップチョコミント味を、
カゴに入れようとしていました。

特にこれが最後の一つだったわけではありません。
どうしたんだろうと思いながら振り返ります。

すると、スーツ姿の男性が、
私に向かって「覚えていますか?」と聞くのです。
名残惜しいですが、とりあえず、
チョコミントを冷凍庫に戻しました。
私は寝起きでボーッとする頭をなんとか起こします。

「えっと…」
だいたいの年齢は二十歳後半。
明るい茶色に染まっている髪が、
明るい表情を、より明るく見せます。
ハキハキした話し方。
どこの誰なんでしょう。

「すみません。最近物忘れが酷くって…」
私の口からは、
お婆さんみたいな台詞が出てきます。
「相変わらずだね~」
男の人は笑っています。
怒ってはいないようです。
この人の中での私の設定がなんとなく分かりました。
少しほっとします。

男の人は、自分の近況を話します。
結婚したこと、早く子どもが欲しいこと、
今日は朝からついていなくて落ち込んでいたこと。
聞いてもいないことをたくさん話すのに、
結局最後まで、
自分が誰だか教えてはくれませんでした。

私はぼんやりと、
もしかしたら人恋しいだけの不審者なのかなぁとか、
そんな失礼なことを思ったりもしました。

ひとしきり話すと、
男の人はスーパーカップのバニラをとって、
レジに行きました。
後ろから私はついていきます。
さっさと会計を終えると、
袋ごと私に差し出しました。
「嬉しいけど、チョコミントが良かったなぁ」
誰だか分からないのですが、
どうやら親しかったようなので、
普通に話します。
「あんな歯磨き粉みたいな味、よく食べれるなー
いいからバニラ食っとけバニラ」
どうやら分かっててわざとバニラにしたようでした。
仕方ありません。
大人しくバニラアイスを食べます。
甘い、冷たい。…おいしい。

男の人は私がアイスを食べている間、
思い出したようにコーヒーを買いに行って、
飲み始めました。
缶には温度差でたくさんの水滴が光っていました。

「そういえばお前、最近どうしてるの?」
この時はじめて私のことを質問されました。
答えにくいなぁと思って、
ヘラヘラと笑ってみます。
「あー。なんとなく想像ついた」
どうやら私はこの人と、
結構親しかったのかも知れないと思いました。
思い出せないけれど。

男の人は、別れ際に早口で数字を言いました。
私は復唱してみます。
「覚えたでしょ。
誰だか思い出せたら、また連絡して」
「うーん。数字も忘れちゃうかも」
「駄目じゃん」
めちゃくちゃ笑われてしまいます。
でも、なんだか懐かしい感じがするし、
何より気になります。

この人と、また話したいと思いました。
家に帰ったら、
過去の日記を探し出さなければいけません。

数字は、本当に忘れてしまいそうだったので、
お店にもどってボールペンを買うと、
アイスの蓋にメモしました。